令和2年度 第12回卒業式式辞
未だ緊急事態下の東京ではありますが、そんな東京にも先日、桜の開花が宣言され、まさに春本番を思わせる昨日今日の陽気であります。そんな陽光うららかな好天の本日、保護者の会会長並びに同窓会会長ほかご来賓のご臨席のもと、令和2年度第12回卒業式を挙行できますことをまず何よりも喜びたいと思います。そしてお子様の成長をずっとまじかで見守ってこられた保護者の皆様には、喜びもひとしおであろうと存じます。心からお子様のご卒業をお喜び申し上げます。おめでとうございます。
202名の卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。皆さんは本当にこの一年よく頑張ったと思います。新型コロナ感染拡大に伴う休校措置は昨年の3月から始まり、3カ月間続きました。6月になって休校措置が解除されてもしばらくは分散登校が続き、学習進度の遅れに対する不安は並大抵ではなかったでしょう。ようやく9月くらいから日常を取り戻したとはいうものの、感染の恐怖と日々戦いながら、受験と向き合わなければなりませんでした。こうした大変な逆境を本当によく克服して今日この日を迎えられたことに、私はまず何よりも最大限の賛辞を贈りたいと思います。
こんな中国の故事があります。
昔、中国北方の砦付近にお爺さんが住んでいて、そのおじいさんが飼っていた馬が、ある日、胡の国(北方の異民族の国)に逃げてしまった。
近所の人が気の毒に思ってお爺さんを慰めに来たのですが、お爺さんは、「これ何ぞ福とならざらんや」と言いました。すると、数カ月たって、いなくなった馬が胡の国の名馬と一緒に帰ってきたのです。
村人たちは、よかった、よかったと今度は祝福しやってきたのですが、お爺さんは、逆に「これ何ぞ禍とならざらんや」と言うのです。すると、あろうことかお爺さんの息子が馬から落ちて、その脾(ひ)を折る、つまり太ももの骨を折るという禍となってしまった。
すると、また村人たちが見舞いに来て、お爺さんはまた逆に「このことがどうして幸福の種になる」と言う。すると今度はどうなったか、北方の胡の国が攻めてきて、その防衛のため屈強な若者が徴兵されました。でも息子さんは太ももの骨を折っていたので徴兵が免除され、「死するもの十に九なり」、つまり兵隊の9割が戦死した悲惨なこの戦争に行かなくて済み、父子ともに無事に過ごせたのです。
紀元前2世紀にできた中国の書で、「淮南子」という思想書の中のお話から生まれた、「人間万事塞翁が馬」という有名なお話です。「人間万事塞翁が馬」とは人間の幸不幸は繰り返していくもので、幸せだと思っていたものが不幸の原因になったり、わざわいの種だと思っていたものが幸運を呼び込むこともある、それが人の世の常というものだ、という意味です。禍福はあざなえる(撚る、らせん状にねじり合わせる)縄のごとし、ということです。
コロナ禍でいろんなことが犠牲となった、しかし、このことが原因で何か将来いいことがやってくるかもしれない、あるいは逆に、今は何もかもうまくいって幸せだけど、それが油断や慢心を生んで将来禍がやってくるかもしれない、そう考えて私は皆さんに、何事にも必要以上に悲観したり、必要以上に調子に乗ることがないよう、どんな時でも「今、為すべきことを淡々と実行していく」強さというか、落ち着いた姿勢を貫いてほしいと思います。
新型コロナウイルスへの対応で、意外と脆弱だった日本の社会体制や問題点が見えてきたのは事実でしょう。皆さん一人ひとりにとって見え方は様々でしょうが、皆さんの目に脆弱だと見えた日本の弱点や現代思想の問題点を、皆さん自身がきちんと引き受けて、近い将来その弱点を克服し、社会に貢献できたとしたら、それは「人間万事塞翁が馬」の故事の通りということになるのでしょう。そして、それこそ、コロナに打ち克つということになるのだと思います。皆さんにはそれくらい大きな「英知」を期待します。
さて、昨年から今年にかけて流行ったものが、コロナの他にもう一つあります。皆さんご存知の通り、「鬼滅の刃」です。私はすべてを活字で読んでいるわけではないので、あまり断定的なことを言うつもりはありませんが、弱き者へのいたわりや、命がけで守るべきものを守ることの美しさ、あるいはまた、現代ではもはや語られなくなってしまった古典的な英雄像が何の衒いもなく語られていることに、大いに共感しました。
「英雄」とは強くて高潔な人間、強く高潔な人間ならばやせ我慢してでも、課せられた責務を立派に果たせ、そんな強烈なメッセージが多少の表現を変えながら、劇画中に繰り返し語られますが、これはまさしく、わが校の理念である「ノブレス・オブリージュの精神」そのものでしょう。
勉強する環境にも能力にも人より恵まれた人間には、その環境と能力を使い切って、寸暇を惜しんで多くの見識を学ばなければならない責務があります。そして将来多くの人々の助けとなるよう命がけで働く責務もあります。その責務をいつも心にとめてそれぞれの道を歩んでください。
それからもう一つ、劇画を見て思うのは、主人公やその仲間たちは、苦しい時、戦いで絶体絶命の局面になると、必ず幼かった時の家族との交流の場面を思い出します。いな、鬼でさえも最期の場面では幼少期の父母の思いを思い出し、改悛の上、つまり己の悪行を改めるものまで登場します。
いずれにしても、父母、兄弟姉妹の美しい家族愛の物話の記憶が、私たちを困難に立ち向かい、生きる力の源泉になることを改めて確認させられました。
「家族の絆」、これも「ノブレス・オブリージュ」の精神の原点にあるものに違いありません。今日まで育ててきてもらったお父さんお母さん、また家族の恩に今日はしっかりと感謝の心をささげる日でもあり、立派な成人として行動することでその恩に報いなければなりません。 これからの人生、常に順風満帆とはいかないでしょう。でも、人生は「塞翁が馬」だと思って耐えたり、油断と足りせず、家族の愛を力にして、ノブレス・オブリージュの精神の実践を考えて生きていってください。
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