東京都市大学 等々力中学校・高等学校

創立者 五島慶太先生の遺志

建学の祖・五島慶太先生と
noblesse obligeの精神

五島慶太先

平成22年4月、本校は共学部設置し男女共学の学校として新しい歴史を刻み始めました。それを機に学校教育の理念も「noblesse obligeとグローバルリーダーの育成」と定めて出発したのでした。

しかし、この教育理念は本校の前身である東横女子商業学校の創立者で、日本の偉大な実業家・五島慶太先生の生涯を貫く思想信条にその源を発していることは言うまでもありません。

慶太先生は長野県の青木村に生まれ、片道10キロ以上の道のりを毎日歩いて小学校に 通い、その後の旺盛な向学心で上級学校に進みます。そして、小学校の先生をしながら学費をため、現在の筑波大学、さらに努力して東大法学部へと進学し、官庁、実業界へと活躍の場を移して、不屈の精神と持ち前の負けん気とで、一代で今日の東急グループの礎を築いた偉人であります。私たちは、日本を代表する大実業家を創立者にいただいてることを誇りとしつつ、先生の前向きな挑戦心、一途な情熱、何事にも屈しない粘り強さなど、実に多くを学ばなければなりません。しかし、最も学ばなければならないことは、彼の「世の中のために、人のために」という思想であると私たちは考えています。

五島慶太先生は事業拡大を進める傍ら、「事業は人なり」の考えのもと、教育にも強い関心をもっていました。そして、先生が事業とは別に、営利を目的としない公益法人として、本校の経営母体である五島育英会を設立したのも、そして、この等々力の地に私財を投じて本校の前身である東横女子商業学校を創立したのも、あるいは、鉄道沿線に実に多くの学校を誘致したり経営難に苦しむ学校を経済的に支援したりしたのも、これらはみな、まさに慶太先生の事業欲を超えた社会貢献の思いからの行為に他なりません。誘致に際しては無償で行ったことさえあったほどです。

また、先生はある講演で、人間が社会的存在である以上、安定した社会の存立が個人の生の充実を保障するということを述べていて、安定した社会の存立のためには社会に対する奉仕の精神を個々人が発揮しなければならないと指摘しています。そして、この奉仕の精神こそ人間道徳の根本である、孔子や釈迦やキリストの説くところも、結局のところ、その根本は自己を社会や国家など多くの人のために奉仕させることにあると明確に語っています。

この東京都市大学等々力中学校・高等学校は日本屈指の大実業家の、「世のため人のために」という熱い思いから出発した学校である、そうであるがゆえに、本校は「ノブレス・オブリージュの精神の育成」を建学の理念に掲げて再出発したのです。

noblesse oblige ―高潔な若人が果たすべき責任と義務― は本校創立者・五島慶太先生の遺志であるのです。

学校沿革

昭和13年12月
東横商業女学校設置認可
昭和14年6月
開校記念式挙行 名誉校長 五島慶太
昭和15年3月
財団法人 東横学園設立認可 理事長 五島慶太
昭和15年4月
東横女子商業学校に校名変更
昭和22年4月
等々力中学校設置認可 (5月開校式・入学式挙行)
昭和23年3月
東横学園高等学校設置認可 全日制普通科 夜間部併設
昭和24年2月
等々力中学校を東横学園中学校に改称
昭和24年3月
東横学園高等学校夜間部廃止
昭和25年3月
東横女子商業学校廃止
昭和25年3月
新校章、校旗、新制服制定
昭和26年3月
財団法人東横学園を学校法人東横学園に組織変更
昭和27年9月
校舎増築(木造2階建)
昭和30年3月
学校法人東横学園を学校法人武蔵工業大学に合併
法人名を五島育英会(理事長 五島慶太)と改称
昭和30年5月
中学校新校舎竣工(本学園初の鉄筋コンクリート3階建)
昭和32年6月
高等学校新校舎竣工(鉄筋コンクリート4階建)
昭和34年9月
五島慶太理事長逝去により、五島昇氏が理事長に就任
昭和34年11月
創立20周年記念式典挙行
昭和39年4月
校章改定、高校制服改定、新校旗制定
昭和39年9月
高等学校新校舎竣工
昭和45年7月
体育館竣工
昭和57年4月
中学校新校舎竣工(旧校舎解体)
昭和63年11月
新制服制定
平成元年3月
五島昇会長逝去
平成元年6月
創立50周年記念式典挙行
平成11年5月
創立60周年記念式典挙行
平成21年4月
東京都市大学等々力中学校・高等学校に改称
平成22年4月
共学部開設(女子部高校募集停止)
校章改定、新校旗制定、校歌改定、共学部制服制定
平成23年3月
中学校・高等学校新校舎竣工(旧第二校舎解体・第一校舎改築)
平成23年4月
女子部中学募集を停止
平成28年3月
女子部グランドフィナーレを挙行
平成28年4月
完全共学化